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1 好敵手たち──水野エリカ──

「中谷さん! チャンスです!」
 セコンドの山神の声が聞こえる前に中谷は動いた。さっきまで私の腕を攻めることの出来なかった気弱なレスラーはそこにはいなかった。勝つためには手段を選ばない非情なレスラーがそこにはいた。躊躇無く私の腕を掴むとそのまま一本背負いへ──。
「ぐッ!」
 私は必死に踏ん張る。素直に投げられた方が腕への負担は軽くなる。しかし、投げられて、そのまま流れるような動きで腕ひしぎをやられたら私には防ぎようも無い。一本背負いの後には腕ひしぎ、そのパターンは解っているが解っていながらやられてしまう、それが中谷の格闘家としての優れたところなのだ。腕ひしぎだけは絶対に阻止しなければならないからこそ、私は中谷の投げを頑なに拒否した。しかし、引っ張られているのにそれに抵抗しているのだから、腕ひしぎ程ではないが腕への負担は大きい。思わず私のあいている方の手がギヴアップしようと動きかけた。しかし、腕ひしぎでギヴアップするのならともかく、投げられる前にギヴアップというのは余りにもカッコ悪すぎる。私はギヴアップしようとした手を固く握り締めた。その時、中谷の一瞬の隙が見えた。
「ここだッ!」
 私は中谷の体勢を入れ替えて、クルリと丸め込む。何が起こったのか解らないで鳩が豆鉄砲でも食らったような顔をしている中谷の耳元で、レフェリーがマットを三回叩いた。

 勝った。狙ったとおり、ピンフォールで。しかし、私は釈然としなかった。決定的なダメージを与えた上でのスリーカウントならともかく、今のは一瞬の隙をついただけのことだからだ。油断したために中谷に負けたつい先ほどの私と全く同じだ。
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