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1 好敵手たち──水野エリカ──

期待されたことをやるのは当たり前なのだ。だけど期待されたことしかやらなかったらいつかは客に飽きられる。期待している以上のものを見せる事でファンに驚きを与える事も必要だ。例えるなら、ドラマなどで頭のいいキリッとした役柄を演じている女優が、バラエティー番組でポロッとおバカな一面を見せてしまう事がある。すると、ファンは意外な一面が見えて得した気分になる。それと同じだ。悪いが今の中谷は、柔道時代の実績も、プロレスの世界ではお飾りに過ぎない。せっかくの実績を生かしきっていないのだ。柔道をあまり見ないプロレスファンに対して一本背負いをするのは、元柔道選手だということをアピールするにはもっとも簡単で手軽な方法だ。柔道選手だからここまで出来る、柔道選手でもあんな事が出来る、そういった部分を見せなければ、せっかくの実績が生きてこない。勝つことだけに専念して客の目を無視したとしても、逆に客は“凄み”と感じる事が出来るだろう。下手な選手が同じことをやろうとしても「つまらない試合しやがって」とブーイングを受けるだろうが、中谷の実力なら逆説的ではあるが“客の目を意識しない”ことを一つのアピールに使えるはずだ。
 結局、最後は絶好のスリーパーを締め切れずに逆に足を取られて負けてしまった。だが、引き上げていく中谷の表情を見ると何か吹っ切れたように見えた。私との試合では今日よりも強い中谷になっている、そういう予感がした。

 予感は的中した。中谷の公式戦で負けは紺野との一戦のみで、あとは引き分けを一つ挟んだものの後は全て勝っていったのだ。しかも、その全てが“楽しい”試合だ。私は中谷がエンタメ路線に走りすぎる部分を甘いと思っていたのだが、その甘いところをさらに強調したスタイルで戦っていたのだ。後日、中谷に聞いたところ、どんなファイトスタイルだろうと関係ない、極めれば最強になれると思う、と言っていた。私とは方向性の全く違うプロレス哲学を展開されて驚いたが、それはそれで正論だ。しかもそれ
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