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19R ニューホープ中編

先日長谷川さんに奪われたとはいえNJWP認定無差別級の“前”王者だ。でも日本のNJWPという団体が認定するベルトなんて世界的に見てはローカルなベルト。対する紺野さんと水野さんのは、国際的な権威のある歴史的にも価値あるベルトだ。そういう意味で、後輩に抜かれたという事で内心穏やかではないのかな、と思ったらそうでもないらしい。
 例えば英連邦のベルトは、日本では単純に『海外のもの』だとありがたがっている部分があるけど、ヨーロッパのプロレスは日本よりも規模は小さい。
 NLWAも、今は団体なんだけど、昔は組織の名前だった。NLWAの最後のAの字は昔はアライアンスだったけど、今はアソシエーションなので、本当の意味でのNLWAは今は無いらしいのだ。昔のアメリカは団体というものは無くて、各地のプロモーターが自分のテリトリーの中で興行を行うという形だった。テリトリーは犯すべからずで、A地区のプロモーターがB地区のテリトリー内で興行を行うということは絶対許されなかったらしい。そこで、それぞれのテリトリーでも地方のチャンピオンというのはいたけど、統一チャンピオンというのを作ろうとプロモーター達が集まって組織を作った、それがNLWAの始まりだ。そうして生まれた統一チャンピオンは、各テリトリーに転戦して防衛サーキットを行うという義務があった。長距離を移動しながら防衛戦を行うという超ハードなスケジュールを消化していくのだから、その頃のNLWAチャンピオンは本当に尊敬に値する存在だったらしい。町でチンピラにからまれて簡単にやられちゃうようじゃ話にならないから、プロレス的な強さだけでなくセメント・シュートの実力も無いとチャンピオンにはなれないという暗黙のルールも存在した。ところが今のアメリカは、エンターテイメントショーとしては沙希さんもマッチメーカーとして教わる部分はたくさんあるけど、レスラーを見てみればセメントなんて全く出来ない、プロレスしか出来ないような選手が殆どというのが現状だ。紺野さんにしろ水野さんにしろ、ベルト取れたのはある意味当然だ、というのが沙希さんの見解だ(これはあくまでNJWP至上主義
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