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15R 対抗戦前夜さんは大島社長に憧れてプロレス入りしたという経緯があった。大島社長が団体を起こしたのなら、そっちの方がいいと、あっさりとNJWPに移籍。また、大島社長と同じように、プロレスを続けたいのに年齢的に無理矢理引退させられた選手も続々と集まり(スラッシュ松田さんもその一人)、団体発足後わずか数ヶ月、旗揚げシリーズが終わる頃には日本女子プロレスと肩を並べるほどの団体に成長した。 さらに、一年が過ぎる頃には日本女子プロレスを中継していたテレビ夕日もNJWPに乗り換えて、日本女子プロレスはいつ倒産してもおかしくないほどの状態にまでなってしまう。 残された選手の中に、日本女子プロレスを心から愛していた現ジャパンレディースの社長青野さんがいた。NJWPに負けるものかと歯を食いしばって頑張っていたけど努力の甲斐なく会社は倒産し、団体も解散となってしまったのだ。大島社長が職を失った元日本女子の選手に声をかけたけど、青野さんと青野さんを慕う選手は頑なに拒否して新団体を発足。“ジャパンレディース”という団体名は“日本女子”へのオマージュでもある。 青野さん自身も一生をプロレスに捧げたいという考えの持ち主だっただけに、二十五歳で引退を迫られやむなくNJWPを旗揚げした大島社長には共感できる部分もあるが、愛する団体を潰されたという部分では、やはり割り切れない部分もある。どうしてもプロレスを続けたいのなら社内改革するという手段もあったはずなのに新団体設立という、青野さん曰く「楽な道」を選んだ大島社長に対して憎悪に近い感情さえも抱いていたという。 もっとも、そういう感情も、今となっては青春時代のほろ苦い思い出だ。沙希さんや長谷川さんだけでなく、大島社長と青野さんの意思も『自称プロレスラー』みたいな選手しかいないような団体が多い現状 |
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