もどる |
15R 対抗戦前夜と選手に対してはけしかけるだろう。『自称プロレスラー』という言葉が出たが、昔はそんなのはいなかった。昔は女子プロレスは一つしか団体が無かったからだ。我がNJWPの大島社長もジャパンレディースの社長の青野さんも、一つしかなかった女子プロレス団体「日本女子プロレス」出身のレスラーだ。一つしか団体がなかったので、リングに上がって試合できるのは、まさに選ばれた人間だけだ。もしこの団体が崩壊しなかったら、今のような多団体時代は来なかったし『自称プロレスラー』も生まれなかっただろう。 しかし、この団体にも一つだけ欠点があった。今では信じられない話だが、選手の二十五歳定年制という規則があったのだ。確かに女子レスラーは男子レスラーに比べて選手寿命は短い。でも二十五歳というのは早すぎる。いつまでもプロレスしてないで、年頃になったら結婚して家庭に入れ、というのが理由だったらしいが、今の時代なら女性差別間違い無しだ。 チャンピオンに輝き人気絶頂だった、かつての大島社長も例外ではなく、会社からは引退勧告まで出された。そんな社長がプロレスを続けるには自分で新しい団体を作るしかなかったのだ。そう考えると、今の多団体時代は我がNJWPが始まりとなってしまうわけだけど、その火種というか切っ掛けは、日本女子プロレスの理不尽な規則だ。 人気者だった大島社長が素直に引退したら日本女子プロレスもまだ残ってたかもしれないが、NJWPを起こしたのだからたまらない。客は日本女子からNJWPへと流れてしまった。現在NJWPの実力ナンバーワンの森山さんも当時は日本女子プロレス所属選手で、大島社長の次代を担う有望な若手として人気もかなりあった。当時はまだ十代だったから日本女子を辞める理由なんて無かった。しかし、森山 |
前ページ 次ページ |