もどる |
14R シュートとセメント次の日、痛みは引いてなかった。それでもまだまだ我慢できる程度だったから、そのまま試合に出場した私だった。私が左肩が痛いことなど知るはずも無い先輩の、つなぎ技のつもりで出したアームロックに思わずマットを叩いてギヴアップ。先輩は勝ち名乗りを受けながらも「なんで?」という表情で私を見ていた。それからの私の戦跡は散々だった。痛みで試合に集中できないのだ。私が左肩を痛めてる事が先輩達に知れ渡るのに時間はかからなかった。「医者に診てもらえ」「無理しないで休め」と言ってくれる先輩もいたけど、私は「大丈夫です」と言っては試合に出て、その結果さらに左肩を悪化させるという悪循環に陥っていた。 シリーズも中程に差し掛かったある日、中山先輩との試合が組まれた。痛みは既に限界だったけど、このシリーズの目標と定めた相手との試合だったので、私は左肩をテーピングでガチガチに固めて試合に臨んだ。 試合が始まった。序盤は互いの手の内を読みあうという展開だったから、左肩への負担もそれほど無かった。しかし、五分過ぎに中山先輩がドロップキックを出したあたりから、リング上に不穏な空気が漂い始める。普段私は、ドロップキックは両手でガードして、顎や顔面に直接当たるのを防ぎつつも、キックの勢いに逆らわずに倒れて受身を取る、というディフェンスをしていた。だけど、その時は左肩がテーピングでほとんど動かない状態だったので、右手一本しか使えなかったためにガードが甘くなっていた。中山先輩の足は、まともに私の顎の先端を捕らえた。あわてて立とうとするけど、足がもつれて起き |
前ページ 次ページ |